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LIFE IN MIRACLES~奇跡でごはん食べてます~

融通無碍・自由自在・みんなひとつの神さまライフ

「勝負師」考

このところCSやYouTubeで、都はるみさんの歌をよく聴いてるので、
坂田三吉桂春団治の物語で
「日本一」という歌詞に触れる機会が増えている。

先日の羽生結弦選手の氷上の勝負を観ながら、
日本一!と叫びたくなった。(いや、世界一なんだけど)

で、思った。

競争そのものを問題視する傾向が
スピリチュアルを学ぶ者たちにはある。
だけど、競争そのものは悪徳ではなくて、
他者のコントロールによって無自覚に
競争「させられてる」ところに不自然があるのではないか。

利潤追求の競争はダメで、スポーツならいいんだ?
いや、そうじゃないと思う。

ちょっと前、小学校の運動会で
徒競走の順位づけを廃止して、全員一等賞にしよう。
みたいなルールが作られてた。
そんなん、何がオモロイの?と、首を傾げた。

何が言いたいかというと、

競争そのものはアリ。
だけど、競争は
したい者が やればいい。したくない者はしなくていい。
っていうルールが、いんじゃね?
ということ。

まあそうなると、現行の学校教育制度が
いわばパラダイムごとひっくり返るよな。

「ユヅくん」みたいな天才が、自分の中に
競争心というものを知覚する機会が減ってしまうかな?

いや、生来の(各自が自分に課した)ミッションには、
雑音が減るぶん、氣づきやすくなるんでは?
もともと、ミッションと競争心は無関係だし。
競争心じたい、ミッションに向かわせるための
ツールに過ぎないよね。

こないだの男子フィギュアの決戦なんて、
あれ、他者との競争じゃなくて、
全員が、自己との戦いだったもんね。

「いちばん」っていうのは、どのジャンルであれ
最後に「自分に克つ」ヤツが手にするんだろう。

三吉も春団治もユヅくんも、
徹底して勝負を楽しんでたヒトだよね。
イコール、自分自身を生涯面白がってたヒトだ。
あ、ユヅくんは過去形じゃないな。ごめん。

ユヅくん(羽生結弦選手)には、
小春やお浜は必要ないのかな?
献身的パートナーとインディゴの天才性の関係・・・
とか考えだすと、論旨が散らかるので、またこんど。

あれからのワタシ(今朝のドキュメント)

朝ごはん、作るの面倒くさい。
コンビニに行こうとする。
その前に炊飯ジャーで固くなったごはんを
お粥に炊き直そう。昼食用。
片手鍋に水を入れて、ジャーに注ぐ。
・・・その瞬間!・・・
そうだ。この鍋で鶏の水炊きしよう。と、決める。
お粥モードでスイッチオン。

片手に残った鍋に、また水を入れ、火にかける。
もうその後は一氣!

出汁昆布入れて鶏肉入れて
白菜洗って切って、豆腐切って、
鍋が煮立ったところへぜんぶ入れて、

醤油ちょっと入れて、
刻み葱、ポン酢、お椀に入れて、
小分けにパックした白ごはんチンして茶碗によそって、
冷蔵庫にあったヒジキ豆を小皿に盛って、
はい。できあがり。

今朝書いたこと、実験完了♪
脳幹は無敵だ。新皮質は無言だ。

美味しかった。ごちそうさま。Higherさん♪

脳幹と肉体の双方向伝達メカニズムを活用しよう

みんな、ワタシも含め、好いヒトだからね。
やらなきゃいけないことをやれてないと、どーしても自分を責めるよね。

どっちかつーと、ジブン責めることに全力使ってたりする。
で、知らないうちに疲れきるの。

そーじゃない。

やらなきゃ、なのに、やれない。

じゃなくて、ほんとは、

やりたくない。だから、やらない。

って、あなたのカラダと、もうひとりのあなた が言ってるの。

もうひとりのあなたというのは、肉体に直接指示出してる
脳幹部を司ってる自分。深層意識に住んでる自己。

はしょって言うと、

面倒くさい時って、
表層意識(大脳皮質)の自分と、
深層意識(脳幹と体)の自分が、
正反対の主張して争ってるの。

この場合、どちらが真実か。
あなたという生命体にとって必要なことか。
という問いを立てるなら、答えは一目瞭然。

体と脳幹が正しい(正確)答えをくれてる。

だからまず、大脳新皮質の主張を完全に削除して、
胸に手を当てて聴いてみろ!
っつってんだ。なう。

あなたは、おおむね正しいよ。
いつも、自分を責める理由なんてホントはないよ。
ひとつもない。カケラもない。

責めることに向けられたパワーを、
そのパワーロスを、ぶん投げて、
脳幹(深層意識)に住むもうひとりの自分
(真我とか神我とかHigher-selfとか)に、
全面勝利させてあげましょう♪

面倒と行動の間にあるモノ

派遣仕事をキャンセルしたから、予約していたヘルパーさんもキャンセル。
用意してあった食材を、自分で調理することに。

けど、寝床にいてアレコレ考えてると、面倒くさ過ぎて、
絶対イヤ!ってなる。

そこでこの、面倒くさいのメカニズムを考える。

氣づいたのは、

面倒くさい時って、
カラダ凝(じ)っとさせたまま、自分のマインドと 、じたばた取っ組み合いの抗争、してるんだよな。

で、疲れちゃう。
まず、このマインドをstop&release!

動きながら(軽く踊りながら)、なんとなく、思いつきで手に取ってみる。

と、カラダが勝手にやってくれる。

それまで放置。ほったらかし。

決意して動く、んじゃなくて、
カラッポで忘れ果てたまま、ふとした瞬間に
無意識にやっちゃってる。
その瞬間、即座に、迷いなく。

あ、「面倒と意欲と行動」の研究、
若い頃から追求してたんだった。

カバラで、あらましの答え見つけてたんだった。

そうだ。ここを掘り下げてみよう。
ここ掘れワンワン!

信じる。とはどういうことか。

自分が

全創造の源(みなもと)であること。

無限無量の意識体であること。

いまここに在りながら、あらゆる時空に存在すること。

存在する目的そのものを、

自在に、いくつでも、創り出せること。

 

在り方としては、

ひたすら安心していればいい

ということ。

すぐに忘れがちだけど

自分が誰で、どんな姿をしていて、

何処から来て(何処と何処を経て)、何処に向かっていて、

いま何処で何をしているか。

 

こういうことを識っているなら、あなたは

何時でも何処でも安心立命

 

恐怖有ること無し。

心に罣礙なし。

天衣無縫。則天去私。

夜 何時に寝ても朝2時に目覚めるなら、これを思惟の時間にあてよう

【思惟(しゆい)メモ】

 

この世の法則:

希えば希うほどに、希いとは真逆のことが起きる。

そこに執着が在るから。

カネと自由が吾が人生のテーマだから、
そこを究めようとするから、

自由を剥奪され、カネに追われる日々になる。

過去を振り返れば、
1日で、バイトひと月分の収入を手にしていた
自由きわまりない自分が、居た。
それでもやはり
その頃も
自由から遠い意識で暮らしていた。

定義づけが間違っていたのだ。
「意識」の設定に誤謬があったのだ。

自由もカネも、
この世に生まれた時から、
手にしていた。
求めなくても既に在った。

そして、いまも、
ずっとここに在る。

わたしは、いまもここに居て、全てを手にしながら、

もしかすると敢えて

自由のない場所を、
経験しに、
体感しに、
出かけようとしている。
(原初に神がそうしたように)

人類すべてに、ほんとうの自由を
体感させる、意識させる
その長い道のりを歩きつづけるために。
まず、自分が完全な自由を知る(識る)ために。

生まれてきた意味にとらわれることなく、
自由「そのものになって」生きるために。

 

 

省りみれば

この一年、自分に起きた(否、自分が起こした)

一連のジタバタの始まりには
「怨み」があったと思う。

「怨み」に神々が手を貸すことはない。

だが、

自分の心底を識るための「学び」には
彼等はとことん手を貸す。

端緒となったのは、一瞬の怒り。純粋な怒りだった。

そこに怨みはなかった。
怒りの思いに、あとから這い寄り忍び込んだ。
「第三者」の意思が、怨みを捏造した。

自意識に寄生した他意識。
なりすましの我レ。
卵が受精して受精卵になり、細胞分裂するように。
細胞核に入り込んで、
もはや一体化したミトコンドリアのように。
彼我の分別がつかない。

そうなると、
怨みと言う名の意識体が、
ますます増殖分裂するために
必要な現実(幻想)が断続的にやってくる。

第三者に人生を明け渡したことになる。

人生を取り返すには、
怨みを赦しに変えること。
否、
「怨み」そのものを赦し、解放すること。

それはそのものが第三者だから、手放せる。

あの時の怒りは、自分そのもの。

あの後の怨みは、自分でないもの。

それを識るために、
ぜんぶを削ぎ落とすプロセスが必要だったのだ。

まもなくフィジカルな自分の誕生日。
心底からの、真底からの
赦しの時間が、始まっていくのだろう。

 

 

 

こう考えていくと、
一連の出来事は、Heru-Ra-Haを認識し、彼を降ろすために行われた。
と、言えるかもしれない。

Heru-Ra-Haに使われたのかもしれない。

だが、

今後は、使われていてはいけない。

わたしの中の神。
内なる神が!

彼を、彼らを、
(HorusとRaの太陽の息を)
能動的に
使いこなせと言っている。

どの次元に立っていても、
立つときは、自分を主軸に立たねばならない。

神々を前にしてさえ、
立脚点は、吾レであらねばならない。

それをこそ、
自由
と呼ぶのだから。