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LIFE IN MIRACLES~奇跡でごはん食べてます~

融通無碍・自由自在・みんなひとつの神さまライフ

新月なんで、書き始めの草稿そのまま上げちゃいます。

「ある魔術師見習いの手記」

 

 

 

夏の盛りの昼下がり。

外回り仕事の僕は汗と排ガスと埃にまぶされて、もうどうにもこれ以上は歩けない。

大通り沿いの雑踏を逃れてショッピングモールの中の大型書店に逃げ込むと、空調の噴出口の下で、備え付けのベンチにへたり込んでしばしの涼を求めた。

肩で息をする。汗だか涙だかわからないものが頬をつたう。かすかなアルコール臭。

昨夜の酒が毛穴からあふれて揮発している。

強すぎる冷房に、ほどなく背中や肩口の汗が冷えてきて、こんどは寒い。

なんとなく心もとない情けない氣分。僕はなぜこういつも何かに振り回されているのだ?

そんな弱った心を打ち捨てるように、勢いよく立ち上がり書棚を見て回る。

もうすぐあんな会社辞めるから、自分の起業に役立つ書籍を探そう。

現実逃避?ああ、そうかもしれない。が、この現実はひどすぎる。

昨日も社長の細君は泥酔して朝のオフィスになだれ込んできた。

社員は僕以外全員リストラされた。泥酔モンスターは当然、僕をターゲットにからんでくる。

自分の会社がバブル崩壊でモロに経営不振なのに、外に愛人をつくってマンションを与え、そこに居座って家に戻らない社長を罵る言葉が、細君の口から、もう際限なく吐き出される。

なぜか、そのひとつひとつの出来事がぜ

にんぶ僕のせいのように彼女は脚色して叫んでいる。

社長はまだ出勤してこない。最近はいつも昼過ぎだ。いまは、むしろよかった。と思う。

二人の罵り合いに付き合わされる義理はない。

そこへ上客である得意先から電話が入る。止める間もなく細君が受話器を取って応対し始める。

「あ、あの製品の納期ですか?あれは昨日出荷しております。

え?発送した送り状をファックスで送れと?かしこまりました。すぐにお送りいたします」

泥酔しているくせによく口が回る。

だが、件の製品はまったく間に合っていない。当然昨日発送したのもウソである。

どうする氣かと見ていると、送り状を新たに書き起こし、そこに運送会社の受領印をコピーして貼り付け、さらにコピーを取ってファックスしはじめた。

あ、ばか!心の中でそう叫んだ。

すぐバレるウソをどうしてつくんだ?これは大事になるぞ。

僕は絶望して、書類かばんを抱えてオフィスを飛び出した。

 

ああ、もう辞めなきゃ。あそこにいたら自分が狂ってしまう。

自分の営業社員としての実績も信用も、もうボロくず同然だ。

受注しても、外注する資金も、内作する人員もゼロ。

注文品を自分で手作りするしか方法がない。今月は何度徹夜したろう?

昨夜も夜通し、ひとりぼっちでアクリル板の熱線曲げや溶剤接着をしていたが、午前2時ごろ、ある瞬間に自分の鎖骨あたりから突き出し看板みたいに「イヤ!」という3D文字が飛び出た。

ああ、これでもう限界だ。

そう感じて、その作業を放り出し、真夜中に営業している近所の中華料理屋で思い切りビールを飲んだ。

受注を喜べない営業なんて、あり得ない。これだけ働いても、給料が出ない。給料の遅配に文句を言うと、営業であるお前の責任だと社長に言われる。

家に帰って母に給料が出ないというと、酔って目の据わった母に、いますぐ質屋へ走れと凄まれる。どっち向いても酒乱。もう知ゅらん!

僕はその翌々年に、クモ膜下出血で倒れるのだが、いま思い返せば当然のなりゆきだったと言い切れる。

 

体が冷えてきたせいか、そんな一連のストーリーが一氣に胸に迫ってきて、ますます虚しく感じ始めた。

とにかく本を選ぼう。夢見心地でも現実逃避でも何でもいい。いまをやり過ごす必要がある。

 

ビジネス書の書架に向かって立った。と、そのとき、なにか見えない力に引っ張られるのを感じた。強力な磁石に引っ張られる感じ。

僕はその経験が初めてでもなかったので、その磁力(?)に身を任せてみた。

すると、2筋ほど背後の列に連れていかれた。

そこに見た真っ白なハードカバーの本の背表紙には

 

「クリエイティング・マネー」

 

という文字が大書されていた。

新月直前!コミット(宇宙へのオーダー)します。

新月直前!
コミット(宇宙へのオーダー)します。

 

文士として生きました。

 

「魂の便利屋さん」として働きました。

 

屋号をパーフェクトジョイにしました。

 

パートナーと共に生きました。


しかもなお、汝の意志に叶いました。
ありがとうございます☆


(オーダーは完了形プラスありがとう)

逆さ花火の景気づけ☆

きのうアメブロの指南書のようなブログにたまたま辿り着いて、

読んだり動画見たりしました。

おなじみの集客・マーケティングの技法が書かれていましたが、その中で

「1日2000字をめやすに書く」というフレーズだけが心に残りました。

 

で、書いてみました。(前項)

 

キャッチィで不親切に短い文章しか書けない自分のブレークスルーにはなったと思います。

 

そう。文字数を指定して書くだけで、とにかく伝わる文章をめざしたくなるものだと、改めて知りました。

 

少し前にえべっさんから

「構文やスタイルなんぞ無視して、ふだん使いの言葉で書くだけでええ。論文やないから、感じたまま、読み手にようわかる言葉を選ぶ。それだけやで。」

と言われていました。

 

そこへ、大黒天がおっ被せるように、

「内側に感じたまま書くのと併せて、外側の出来事をただただ正確に描写することも心がけなされ。内と外、行ったり来たり。です。」

と言い、

 

続けてパネース(エロース)が

「原初の過去から永劫の未来まで、行ったり来たりしてるのだからね。ずっとそうやって楽しんでね」

「現世をまるごと楽しんで、それを書くときは、つねに『愛』に基づく表現を心がけるといい。愛は『愛情』じゃなくて大きな宇宙の、つまりあなたそのものの『大元』の愛です」

さすがエロース。

 

 

せっかくなんでラミエルも呼びました。

彼は雷さまなので、先日真夜中に一発だけ落ちた雷について訊きました。

「逆さ花火!ゴーサインだよ!」

だそうです。

 

それからちょっとタイムラグがあって、昨夜、0時~2時過ぎに、ようようゴーサインが発動したようです。

 

五感で受信して、言葉で発信する。

 

書き言葉、話し言葉、歌い言葉(?)、ボディランゲージに至るまで。

 

これが、ワタシのライフワークです。

それをしていきます。

 

えべっさん

事代主(ことしろぬし)とも言われてるもんね。

知的で痴的な昭和の「おっちゃん」らのこと

母方の伯父と大叔父はどちらも大酒飲みで遊び好きな人だった。

伯父は母の長兄。大叔父は母の父の弟。

どちらも、若いころはかなり博学で哲学好きで、きれいな文字を書く人だった。

二人は仲良しの遊び仲間で、伯父が横浜で私の父の店を手伝っていた時期を除いて、よく酒やギャンブルに連れ立って出かけていた。

 

小学校のころから家の書棚にあった「韓非子」の本は、大叔父のものだった。

ついでに言うと、同じ書棚に「ヨハネ福音書」があった。

どちらも旧漢字と旧かなづかいで書かれたものだ。

おかげで私は、小6のころ「初めに言葉あり」で始まる冒頭の一節をそらで覚えたが、あれは誰のものだったんだろう?父の死後しばらく母と同居していた伯父のものだったろうか?

戦争が、二人の人生を台無しにした。と、母は言った。台無しな人生などひとつもない。可哀想な人は一人も居ない。と信じているが、この二人についてそれを口に出すと、なぜか戦争を容認することにつながる氣がして、母に言い返すことはなかった。

 

伯父は今の私と同じくらいの年齢で自死を選んだ。

大阪の箕面という土地の、川の浅瀬で水に顔を突っ伏した状態で倒れていたそうだ。

遺体のそばにビールの空き缶と睡眠薬がたくさんこぼれていたらしい。

それだけで警察が自殺と断定するのはおかしいと、伯父の死後も、母と祖母はずいぶん長いあいだ言い合っていた。晩婚だった伯父の細君とその身内を疑っていた。当時、高校生だった私はその人たちの名前も顔も憶えていない。いずれ真相を究明すると、母子して言っていたが、その祖母も伯父の5年後に亡くなり、母はいまは一人では歩けない介護老人になった。事件から41年が過ぎている。

あの時、母と祖母は、誰かを憎む振りをしていないと、自分の精神を平常に保てなかったのかもしれない。

あきらかに、内心では二人ともが、自分で自分を責めていた。

 

伯父は海軍の兵役から復員して、私たち姉弟の幼いころは、横浜の父のガラス屋で職人として働いていた。小さいころ、父母に負けないくらいに可愛がってもらった記憶がある。

配達の折、スクーターの後部座席に小さな私を乗せて走ってくれたりした。

ちょっと怖くて、かなり楽しい経験だった。

 

大阪万博にも、この伯父が連れて行ってくれた。

 

箕面の警察の霊安室のベッドに横たえられた伯父の体のあちこちから、祖母と母が部屋に入ったとたん鮮血が溢れ出したそうだ。待っていたかのようだ。と母は言っていた。

その後の祖母の悲嘆は、うまく言葉にできない。取り乱す姿は見たことがなかったが、押し殺した悲痛が痩せた肋に滲み出ていた。

ただ、半年が過ぎる頃、「けさも夜明けに、あの子のオートバイの音が聞こえたんや。そうするとな、この辺がほっこりするねんわ」と、その肋のあたりを撫でて静かに笑っていた。

 

大叔父は、80歳を過ぎての老衰で(当時では)大往生だった。死の床を何度か見舞って、ある日、半日ばかり静かに見守っていたことがある。朦朧と濁った眼差しで、天井の一点を見据えていた。

別な日、亡くなる直前にたまたま見舞った母に、かなりセクハラっぽいことを言ってから、「これが最後(最期?)や。」と呟いて、わずかに笑いながら亡くなったそうだ。

子供のころの私には、この大叔父は、競馬と酒と猥談の印象しかないが、戦前に兄(つまり母の父。この祖父は私が生まれる前に戦争中に胃がんで亡くなった)と印刷屋をしていたころは、ずいぶん羽振りが好かったらしい。

祖父も大叔父も伯父も、戦争で人生の歯車が大きく狂ったようだ。

 

祖父のことは伝え聞くばかりでよくわからなかったが、小さいころから目の当たりにしていた大叔父と伯父の生き方を私は好きになれなかった。

なんというか、どうも「現状維持」なのだ。

私の父も生まれつき体の弱い人で、39歳の若さで脳卒中で急死したから、前向きで進化傾向とはとても言えないが、それでも子煩悩で家族にとことん尽くして亡くなった。麻雀が唯一の道楽だった。

 

伯父と大叔父は、何度も言うが、遊びと酒に飲まれるタイプだった。酔って伯父が暴れることもあった。大叔父は宥める役だった。

 

思春期に、「虚無」や「空虚」という言葉になじんで、自分もその「氣分」を愛していた節があるものの、伯父と大叔父の内面に食い込んだ「虚無」の深さや苦さに、当時の私は氣づくことができなかった。だらしない、夢のない、うだつのあがらない、ネズミ色や焦茶色の服の似合う昭和の男たち。そんな印象だった。

 

このところの自分の暮らしぶりを振り返って、どうも彼等の生き方が氣になってしかたがないのだ。

彼らはただの人生の敗残者であったろうか?

高度成長時代の流れに乗り損ねて失速したかに見えた二人の人生が、私には、資本主義社会の過剰な外圧を、どこ吹く風でスルーしつづけた信念の生きざまに映り始めた。自死した伯父はまだ少し検証の余地はあるとして、大叔父については、そう言い切ってよいのではないか。彼には罪悪感も反省も劣等感も、かけらも見当たらなかった。細君(大叔母)の持ち物である不動産の家賃収入に依存しきっていた。大叔母も夫を窘め、呆れ、ときたま怒鳴りちらしながらも、根底では彼をゆるしていたと思う。つまり彼は偉丈夫の嫁からとことん愛されていた。

 

伯父にも、この大叔母のような細君が見つかればよかったのだが。初老と呼べる年齢になって、タクシー運転手の職を選んだ彼は、不運にもタクシー強盗に遭い、命にかかわる経験をした。そんなことも自死の一因ではなかったかと推測される。

 

二人の「おっちゃん」を思い出しながら、自分は父と同じ39歳で直系遺伝の動脈硬化体質からクモ膜下出血で倒れたけれども、その後いまの職業を選んだときに、きれいに酒をやめられてよかったと思う。父は生まれつきの高血圧と腎臓病で酒もたばこも喫めない人だったが。

 

世間の一般的なレールからは逸れた独特なコースの上で、彼等は彼等なりの向上心というか生きがいをもって生きていたんだな。と、伯父の晩年に近い年齢になって、実感されてきた。

それでも私は、彼らほど徹底して遊興に耽ることはできないだろうし、一般的な家庭を持つこともないだろう。それでいいと、いまは思っている。

ただ、大叔父の人を食ったユーモアのセンスを、伯父の美しい文字と透徹した文才を、父のピアノ教師としての音楽の才能を、ぼちぼち受け取って、出していきたいなとも思う。

 

二人のおっちゃんの人生と、自分が遅咲きの才能をブレイクさせること。

この二つは、セットでながめ続けようと思っている。

 

ちょっと上目づかいがベター。

今朝の発見。
なんか氣が沈む?悩んでる?つらい?
そんなあなたに、瞬殺ならぬ瞬活ワザ。
舌チョット出す。左右口角上げる。目をぐぁっと開く。鏡見る。
この顔になってる→(・∀・)キター!
この顔で、嘆けるもんなら嘆いてみぃww
この顔で、オール蹴散らかすゾ!

委ねきるには生苦を超えることだ。って言ったけど。

苦しみを脱するためには、
いかに苦しみを脱するか、
を考えていてはいけない。

 

まず、いま、苦しまないことだ。

いますぐ、捨てることだ。

 

だって、、、

無いから。

 

苦しみなんて、ここには、無いから。

 

あなたは、いま苦しいですか?

カラダに訊いてみてください。

フルオートマティックフロートシステム(文法あってんのか?)

いま、朝の日課終えて、ヱビスに訊いた。

 

今日は何して遊ぼうか?

 

「水に入れ。もっと、水飲め。」

 

 

で、思い出した。

10年前、スポーツジムのプールで毎日泳いでた。

 

まだ、1500万円くらい負債があった頃。

金融会社の支払い機を横目に見ながらのジム通い。

 

泳いでるときは無心でいられた。

 

それでも、ふと、我に帰る。

 

ああ、こんなことしてていいのか?

オフィスでは、相方がひとりでオシゴトしてるのに。

オレハナニヤッテンダ?

 

 

いま思う。

あのとき、もっと手離しで遊んでてもよかった。

(いまも元氣でいるワタクシ♪♪)

 

さらに思う。

確かに、時間は未来から過去へと流れてる、と。

 

昨日から、

フルオートマティックフロートシステム

という言葉が浮かんでる。

 

 

再現性も普遍性も探さなくていい。
そんなの無いから。

 

あーすれば、こーなる。って自動販売機じゃあるまいし。

現世利益ばかり求めなくていい。

引き寄せに法則があるなんて信じなくていい。

 

ひとりひとりが自分に目覚めていれば、
人生は全自動水流機構だから。

 

スピリットの意志の流れに
浮かんでるだけでいい。

 

フローティング ブレイクスルー♪