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LIFE IN MIRACLES~奇跡でごはん食べてます~

融通無碍・自由自在・みんなひとつの神さまライフ

よし、続き、上げちゃえ♪

30万円の支度金を受け取るのは、当然、容易ではなかった。

1週間の研修期間に、最初は50名ほど居た参加者は10数名に減っていた。

それほどに、この研修は理解しにくい上に「バカバカしい」ものだった。

叶子は、例の人事部長の語り口の鮮やかさだけに惹かれて残っていた。

バブル期がそろそろ終焉を迎えつつある時期だった。

悲しいことに、叶子はバブル「崩壊」ということを全く想像できずに居た。

広告代理店を退職してからの数か月は、時事に疎いまま、ただ長年馴染んだマニュアルどおりの営業活動を繰り返す日々だった。商談自体がほとんどなくて、世間の動向を噂話に第三者と話し合う機会すらなかったのだ。

マニュアルしか話せない人間になっていた。プライベートな友人とさえ、会話が「駆け引き・応酬話法」に落ちるときがあった。つまり、落としどころを決めて、そこへ誘導する話法。おのずから友人は減っていく一方だった。あとから考えると、これは恐ろしい職業病だった。

そんなわけで、叶子の中では、天井知らずの好景氣はまだ続いていた。今回の求人に応募する時点でも、何千万もするマンションの販売も、マニュアル通りに売れば比較的容易だと信じていた。

だが、この会社のマンション販売方法は通常の宅建業者のやり方ではなかった。

いわゆる「リースシステム」だった。

つまり、マンションの一戸を収益用物件として長期ローンで購入してもらい、家賃収入でローンを完済した暁には、その物件が持ち主の貴重な資産として残る。他人のお金で不動産物件が自分のものになる。というもの。収益用マンションの「一棟買い」は珍しくなかったが、「一戸買い」はまだ一般化していなかった。

「頭金500万円だけで、数千万円の不動産が近い将来あなたのものに。しかも物件の価値はまだまだ上昇します。購入価額の何倍にもなる可能性も。」というのが謳い文句だった。

まさにバブル。

当時、M社が、このシステムで大きな収益を上げていたのは有名な話だ。その後やはりバブル崩壊のあおりで倒産するのだが、叶子が平成銀河コーポレーションに出会った頃は、まだまだM社も好調で、近く上場する予定もあった。だから、このシステム自体は決して「怪しい」ものには感じられなかった。

 研修中に何度も叶子が聴いたのは、

「日本では土地の価格は決して下がらない」ということと、

「長野の雪はベタ雪で、そこは冬季オリンピックの開催地としては適さない。次回も、パウダースノウの札幌が必ず選ばれる」という「デタラメ」な情報だった。

正式採用後、叶子たちは、遠い札幌の分譲マンションを販売することになる。

具体的な営業方法としては、ドアツードアの戸別訪問。1日の飛び込み件数ノルマは100件。訪問した家庭は訪問日誌に逐一記入。不在・拒否(その理由)・玄関で会話・上がり込み、など選択肢が印刷されていて、いずれかに〇をつける。日誌は帰社後に上司の手で住宅地図と照合される。一軒でも飛ばすとすぐ会社にバレる、というもの。さらに、訪問先で「上がり込み」が成功した場合、何とか理由をつけてその家の電話を借り、「いまどこそこの誰それ様宅に来ています」と報告する。商談を終えて、その場を去る前に、また電話を借りて、退出理由を明確に報告する。ということが義務付けられていた。(当時は携帯電話などまだまだ開発されていなかった)この退出理由が事務所のマネージャーに納得されないと、そこから出られない。

このルールに違反した者は、給与が減額になる。という罰則付き。

商談の骨子となるのは、平成銀河コーポレーションの母体企業である某不動産会社の「会長の一代記」。

これを丸暗記して訪問先家庭の主人(決裁者)に感動的に説明する。苦労まみれの貧乏な幼少期から、みごとに大資産家(いまで謂うならミリオネア)になるまでのサクセスストーリーだ。

さらにその会長が、いかに慈悲深く高潔な人物であり、産業の発展と社会貢献に情熱を傾けているか。を、滔々と説き聴かせる、というものだった。その会長が、あなたご自身の資産形成を救世主のごとく援助してくれるのです。

商談の注意点としては、我々はこの非常に有利な不動産投資情報を「売り込みに来たのではなく、教え諭しに来た」ということを完全に理解させるのだ。ということ。

だから、相手に「ご主人」と呼びかけずに、「主人」、と下に見下して物を言え。と教えられた。(叶子には、5年の営業ウーマン歴も影響して、最後までそれができなかった。どうしても「業者」の言葉遣いになってしまうのだ。)

見込客が儲け話に興味を持ち始めたのを察知したら、即座に、

「実は、私の直属の上司が近くのエリアをセールスに回っています。我々はチームで動いていますから。よかったら、その課長をこの場に呼んで、少しでも有利な物件をあなたが入手できるように、話を進めて差し上げますが、どうでしょう?」

相手が承諾したら、

「では、お電話をお借りして、課長のポケベルを呼び出しますね。あ、課長はコーヒーが大好きなので、来られるまでにご用意ください。お砂糖は角砂糖ひとつがよろしいです。」

などと、課長を客より上位者として意識づける。

そこに登場した課長が、出されたコーヒーをうまそうに飲み、部下と全く同じ「会長の成功物語」を語るので、話はもはや疑いようのない信憑性を帯びてくる。

話がまとまったら、すぐに本社に同行させて、その場で宅建取引主任が契約書をまとめてハンコを押させる。その後、会長みずから料亭に案内し、契約締結の祝宴を設ける。

というシナリオであった。

確かに会長は、玄米食にケールの青汁、根菜を主とした和食しか「召し上がらない」ストイックな菜食主義者であった。(料亭でも、女優並みに美しい夫人が持参した重箱のお弁当にしか手をつけない。当然のごとく酒も飲まない)

一代記の中で、府下の競売物件を扱う機会に恵まれたのをきっかけに大きく躍進した。という話もおそらく事実だったろう。そうとう荒っぽい人生であったことが、五十歳を過ぎたいまなら、叶子にも容易に想像できる。

「君たち、目の前に1億円の札束を積まれて『これが欲しければ、この街を競走で一周してこい。一番の者にこれをやる』と言われたら、走りきれるか?無理やろう?そんなときのために常に心身を鍛えておきなさい」というのが、会長の口癖だった。玄米食とケール青汁も、社員全員に義務付けた。

叶子もこの会長を完全に信じた。信じて、尊敬した。

 

 

季節は真冬。ちょうど節分の頃。一年で最も寒い時期だった。

セールス活動は、朝10時に始まり、夜9時過ぎまで続く。11時までは帰社は許されない。

実際、昼食休憩をはさんで、100件飛び込みを達成するには10時間は最低でも必要だった。

同期入社のオジサンたちは、それでも適当に自主休憩を取っているようだったが、叶子はそれほど器用なタイプではない。いつも課長と本社のマネージャーに監視されている氣がしていた。だから、節分の夜に大きな邸宅の立ち並ぶ屋敷町を回った日は、ほんとうに辛かった。大きなお屋敷ほど、重厚な門の前でインターホンを突破するのが至難の業だ。

女性である叶子は、日に数件は「上がり込み」ができていた。オジサンたちよりは警戒心を持たれにくい。だが、この日はまだゼロだ。

大きな屋敷の傍らに、おそらくその家の主人の持ち物であろう文化住宅がいくつか立ち並んでいて、その前で、若い夫婦と小さな子供が豆まきをしていた。

和やかな光景だ。

別な家の窓からは、「日本昔話」のエンディングテーマ曲が聞こえていた。

叶子は、さすがに涙が出そうになった。息は白く、手は赤く、足は無感覚になっている。

夕刻とはいえ屋敷町の闇はいっそう暗い。そして、尿意。

在籍中の2か月間、その夜だけは、一回きりの自主休憩に走った。

とはいえ、近所には喫茶店すらない。必死で歩きまわって、小さな軒の低いお好み焼き屋を見つけて、叶子は跳びこんだ。トイレを借り、コーラだけを注文する。

これは、もう続けられそうもない。と、痛感していた。

そのころには、上がり込みゼロの者には一万円の罰金が科せられたり、デスク上で正座して1時間反省することが義務付けられたりしていた。

今日、このまま帰社すると、自分にも罰金や正座が待っている。

叶子は、自宅の母に公衆電話から電話をして、高校時代の旧友の転居通知ハガキを探してもらうように頼んだ。

30分後に再度電話する。

母は、叶子の机の引き出しから、そのハガキを見つけてくれていた。

早速アポイントを取り、旧友の妻が在宅なのを確認してから、「遊びに行く」と言ってそこに移動した。車で運んでくれる課長を残して、自力で、電車で。

他に、この寒さを乗り越える方法は見当たらなかった。