LIFE IN MIRACLES~奇跡でごはん食べてます~

融通無碍・自由自在・みんなひとつの神さまライフ

夜 何時に寝ても朝2時に目覚めるなら、これを思惟の時間にあてよう

【思惟(しゆい)メモ】

 

この世の法則:

希えば希うほどに、希いとは真逆のことが起きる。

そこに執着が在るから。

カネと自由が吾が人生のテーマだから、
そこを究めようとするから、

自由を剥奪され、カネに追われる日々になる。

過去を振り返れば、
1日で、バイトひと月分の収入を手にしていた
自由きわまりない自分が、居た。
それでもやはり
その頃も
自由から遠い意識で暮らしていた。

定義づけが間違っていたのだ。
「意識」の設定に誤謬があったのだ。

自由もカネも、
この世に生まれた時から、
手にしていた。
求めなくても既に在った。

そして、いまも、
ずっとここに在る。

わたしは、いまもここに居て、全てを手にしながら、

もしかすると敢えて

自由のない場所を、
経験しに、
体感しに、
出かけようとしている。
(原初に神がそうしたように)

人類すべてに、ほんとうの自由を
体感させる、意識させる
その長い道のりを歩きつづけるために。
まず、自分が完全な自由を知る(識る)ために。

生まれてきた意味にとらわれることなく、
自由「そのものになって」生きるために。

 

 

省りみれば

この一年、自分に起きた(否、自分が起こした)

一連のジタバタの始まりには
「怨み」があったと思う。

「怨み」に神々が手を貸すことはない。

だが、

自分の心底を識るための「学び」には
彼等はとことん手を貸す。

端緒となったのは、一瞬の怒り。純粋な怒りだった。

そこに怨みはなかった。
怒りの思いに、あとから這い寄り忍び込んだ。
「第三者」の意思が、怨みを捏造した。

自意識に寄生した他意識。
なりすましの我レ。
卵が受精して受精卵になり、細胞分裂するように。
細胞核に入り込んで、
もはや一体化したミトコンドリアのように。
彼我の分別がつかない。

そうなると、
怨みと言う名の意識体が、
ますます増殖分裂するために
必要な現実(幻想)が断続的にやってくる。

第三者に人生を明け渡したことになる。

人生を取り返すには、
怨みを赦しに変えること。
否、
「怨み」そのものを赦し、解放すること。

それはそのものが第三者だから、手放せる。

あの時の怒りは、自分そのもの。

あの後の怨みは、自分でないもの。

それを識るために、
ぜんぶを削ぎ落とすプロセスが必要だったのだ。

まもなくフィジカルな自分の誕生日。
心底からの、真底からの
赦しの時間が、始まっていくのだろう。

 

 

 

こう考えていくと、
一連の出来事は、Heru-Ra-Haを認識し、彼を降ろすために行われた。
と、言えるかもしれない。

Heru-Ra-Haに使われたのかもしれない。

だが、

今後は、使われていてはいけない。

わたしの中の神。
内なる神が!

彼を、彼らを、
(HorusとRaの太陽の息を)
能動的に
使いこなせと言っている。

どの次元に立っていても、
立つときは、自分を主軸に立たねばならない。

神々を前にしてさえ、
立脚点は、吾レであらねばならない。

それをこそ、
自由
と呼ぶのだから。